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「アイドルマスター」は、よくありがちな「女の子をホレさせて落とす」美少女ゲームではなく、プレイヤーと女の子の二人三脚でアイドル界のトップを目指す育成シュミレーショーンゲームである

453 名前: 宮大工(長野県)[sage] 2010/09/29(水) 00:05:33.77 ID:9kZ2xYk70

「アイドルマスター」は、よくありがちな「女の子をホレさせて落とす」美少女ゲームではなく、
プレイヤーと女の子の二人三脚でアイドル界のトップを目指す育成シュミレーショーンゲームである。
 1/60秒のトゥーンレンダリングで表現されるTV出演シーンの映像インパクトが先行した感もあるが、
(もちろん、それも素晴らしいのだが)、本作の神髄はなんといっても育成するアイドルとのコミュニケーションと、
トップアイドルを目指すその道のりにある。
 プロデューサー(プレイヤー)が不甲斐ないとオーディションは不合格ばかりで、アイドルも
「事務所のみんなや社長の期待に応えられず申し訳ないです」と落ち込んでしまい、そんな姿を見ると
「ああ、オレのせいだ」と、自分も大いに落胆する。
 また、眠れるアイドルの才能を引き出すことができず、市民ホールで最後の引退コンサートを
迎えてしまったときなどは、ホントに申し訳なく思ってしまう。
 そして、志し半ばでのさようなら。エンディングで胸が張り裂けそうに苦しくなってしまったプレイヤーは、
オレだけではないだろう。
 映画やアニメが受動的(片方向)なメディアであるのに対し、ゲームはインタラクティブなメディアである。
もちろんどちらも感動を与えたり喜怒哀楽の「情感を引き出す」力を持っているが、
ゲームには映画やアニメよりも大きく勝る点がある。
 それは、プレイヤーにノルマとプレッシャーを与えることができる点である。
 映画やアニメを観てプレッシャーを感じる、ということはまずあり得ない。しかしゲーム、
特に「アイドルマスター」はノルマクリアのプレッシャーが大きいが故に、それをはね除けて
ノルマを成功させたときの達成感と、逆に失敗したときの失望感のふり幅がとても大きい。
 ゲームは魂を揺さぶられるインタラクティブメディアであり、中でも「アイドルマスター」のエンディングは、
プレイヤーの心に強烈なインパクトと影響を残す。「2人でアイドル界のトップを目指す」過程にある、
成功と失敗の繰り返しの共有体験こそが本作の醍醐味でもあり、あの切れない別れにつながるのだ。

                                   ゲーマガ編集長 梅田浩二

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「アイドルマスター」は、よくありがちな「女の子をホレさせて落とす」美少女ゲームではなく、プレイヤーと女の子の二人三脚でアイドル界のトップを目指す育成シュミレーショーンゲームであるへのコメント

  • 名前:名無しさん :2010/09/30 (木) 16:27

    その育成シミュレートの道のりがつまらないのが、アイマスの最大の問題。

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ギコあんてな(,,゚Д゚)
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